そう2年前の私と同じ気持ちを、彼が味わってしまっているんじゃないかしら。そんなことばかり頭を過るもんですから、安心して空気を食すこともままならないじゃないですか、小野寺です。
こんなことは今までにないな。さて、齢10歳未満のあの頃の私達はこんな未来を想像出来たでしょうか?答えは何処にも用意はされていないのね。
明日、私はまた何かを乗り越えるのです。こうやって数々の儀式を通り越して大人になっていくんだと実感しては嫌悪を背負いつつ自分を愛しながら死に向かうのです。
幾つの時も人間で、ありたいな。
そうやって容易い願を掛けては叶って両手を広げて馬鹿の様に喜んで。安いシアワセを繁栄させては不幸を嫌うのでしょう。
相変わらずの憎まれ口も、お祝いを。
明日は明日とて私なんだろう。
是迄になく、容易い同情という名の冒涜を前に私は怒りより先に呆れ果ててしまっています。これはまるで今までの人間に対する扱いの表れかなとも受け入れております、小野寺です。
さすがは別国。やはり愛すべきなのは母国。私右翼と罵声を浴びせられようがこの日の国を尊敬しております。あぁ、しかし最愛の人間とはさて何処ぞに。
もはや終わりまで見えてしまったこの人生では、色恋の歌は書けません。難解であるこの全ての仕組みを受け入れる、または抗うか。そういう捻くれた描写しか出来ないのであります。
さて、まずは一年。
その前に切らなければならない絆は如何程に?