エイラの様子が、変…。
「エイラ、どうしたの?」
今夜の夜間哨戒は芳佳ちゃん、リーネさんとクロステルマンさん。引率にバルクホルン大尉も飛んでいる。
だから、わたしは今夜の哨戒はお休みで。明日の朝は久しぶりにエイラや他のみんなと一緒に、午前の訓練に参加することになっているから…。
「いつも私の部屋だから、今日はサーニャの部屋で過ごさないカ?」
貴女がそう言ったのに…。
2時間前、午後6時。
夕食が終わった食堂には、ハルトマンさんとシャーリーさん、シャーリーさんの膝で猫の様に眠るルッキーニさん。あと、エイラとわたし。
シャーリーさんとハルトマンさんが、何かこそこそと話していて、「キシシ」と何かしら企んでいそうな声が聞こえる。そうだ、今夜は面倒見役のバルクホルン大尉が、芳佳ちゃんたちと夜間哨戒に出ているから居ないんだ。
きっといたずら好きのハルトマンさんと、面白いことが好きなシャーリーさんは、バルクホルン大尉の留守中に何かするつもりなのかも。
「サーニャ。眠いのカ?」2人の様子をぼぅと見ていたわたしに、横に座るエイラが心配そうに声を掛けてくれた。
エイラはいつも優しい。
「疲れてないカ?」
エイラの声は抑揚のない独特のスオムス訛り。「うん。大丈夫」
「そっカ。何かあったらちゃんと言うんだゾ」
「うん」
わたしと話すとき、エイラは少しだけ顔を近づける。わたしの声が小さいから、そうやって頭を近づけて、わたしの声を聞き漏らさないように。
エイラは優しさを押し付けたりしない、まるで当たり前の様に優しさで包んでくれる。
わたしはいつもエイラに守ってもらっていた。エイラに手を引いてもらって、エイラの背中に隠れて。
それでもエイラは嫌な顔なんてしない。見返りを求めたこともない。
わたしにはエイラに返せるものがない。
1時間20分前 午後6時40分
「サーニャ?」
エイラはわたしの顔を覗き込んで心配そうな顔をする。エイラの事を考えて思考に沈んでいたわたしはエイラの声にはっと顔を上げる。
「やっぱり疲れてるんじゃないのカ?」
わたしの頭をエイラの掌が優しく撫でる。
「部屋に戻るカ?」
「…うん。」
そうカ、じゃあと立ち上がりかけたエイラの制服の袖を引く。
「エ?」
「…一人で戻れるわ。エイラ」
一瞬きょとんとして、すぐに慌てたように「で、でも」とエイラは口ごもる。
わたしを心配してくれるのは嬉しい。でも、
「エイラ。みんなともお話したいでしょう?部屋で待っているから、ゆっくりしてきて」
「サ、サーニャ」
「ね?」
わたしは笑顔でエイラにお願いした。
本当はわたしの側にいて欲しい、だけどエイラまでみんなから孤立することになってしまうのは駄目。
…わたしは上手く笑えただろうか。
「う〜、分かっタ。サーニャがそう言うなラ」
渋々と言った感じで承諾したエイラは、それでも食堂の扉まで見送ると言って付いてきて、そこから私が見えなくなるまで「階段は気を付けろヨ〜」とか「間違えて他のヤツの部屋に入っちゃダメだゾ〜」とか叫んでいた。
ちょっと恥ずかしい…。
1時間10分前 午後6時5分
エイラの声が聞こえなくなった廊下を自分の部屋に向かって進む。
「そういえば、」
ふと、食堂に現れなかった2人の左官を思い出す。
昨日から坂本少佐が珍しく風邪を引いて寝込んでいるからミーナ隊長が付きっきりで看病しているんだっけ。
行水なんてするカラだロ〜。ってエイラが言ってた…。
水浴びはちょっとやり過ぎだと思うけど、坂本少佐のあの豪快な笑い声が聞けないのは寂しいから早くよくなって欲しい。
他のみんなも心配してる。「ぁ」
考え事に集中していて自分の部屋を通りすぎるところだった。
サーニャは自分の部屋の扉を開けようと手を伸ばす、しかし隣の部屋が何故か気になって手を止める。
ドアノブに手を掛けたまま、少し迷ってから結局魔力を解放した。
サーニャの使い魔である黒猫の耳と尻尾が飛び出すと、サーニャの両側頭部に翡翠色に発光する魔導針が出現する。
「…」
サーニャは意識を集中して探す。黄色がかった銀髪の髪を、そのスレンダーな身体の背に無造作に垂らしているひと。無邪気で、そしてサーニャが一番大切に思うなひとの気配を。
「……エイラ」
食堂にいるその気配は、他のみんなの気配とじゃれあうように動いている。
「…」
サーニャは魔力を収めると自室には入らずに隣の部屋のドアノブに手を掛けた。「……ちょっとだけ」
そう誰も聞いていない言い訳をして部屋にすべり込む。パタンと背中で閉めた扉の音に「ふぅ」と小さく溜め息をつく。
勝手に入ったからと言って、部屋の主のエイラは怒ったりしない。
「き、今日だけだかんナ〜」と言って毎朝わたしが勝手に部屋に入って、エイラのベッドで眠ることを許してくれるように。
エイラの部屋は何も無いわたしの部屋と違って、物は沢山あるのにきちんと整頓されている。
眠くはないけど二段ベッドの下の段に上がって、毛布に潜り込む。
エイラの匂いがする。
…いい匂い。
毛布を頭まで被って目を閉じる。
「…エイラ」
一見、無表情に見えるエイラがわたしにくれる微笑を思い出す。
あぁ…まただ。
サーニャは、はぁ…と息をつく。
時々こうしてエイラが居ないときに部屋に侵入して、毛布にくるまることが何度かあった。
初めはエイラと一緒にいられない時間帯の寂しさを紛らわすための行為でしかなかった。
それが最近こうしていると身体に不思議な熱が生まれるのに気付いた。
胸の中に切ない感情が灯り、やがて燻り始める。
切なさをやり過ごそうとエイラの匂いに集中すると段々と身体のあちこちに言い表せない疼きが生まれる。
悪寒にも似たその感覚にサーニャは唇を噛む。
「ん…っ、は」
自分の身体を抱き締めて疼きに耐える。
「…」
わたし、おかしいのかな…?
サーニャはそれが、まだ幼い身体にも成長に連れ自然に芽生えた性の欲求だとは知らなかった。
「エイラ…」
仰向けに転がり、いつも自分を守ってくれる大切なひとの顔を思い浮かべた。
サーニャ。
いつも囁く様にしてわたしを呼ぶ声を思い出す。
「エイ、ラ…」
また身体が疼く。
50分前 午後7時10分
サーニャは心臓の音を押さえようと胸に手を当てる。
「ぁ…?」
一瞬自分の手が胸の先端を掠めた。弱い電気のような刺激が生まれる。
なにいまの…?
サーニャは左手でもう一度胸に触れてみる。
「…っ」
先端を掌で撫でると再び弱い刺激がサーニャを襲う。「んぁ……!」
自分の口から漏れた声に驚いて慌てて両手で口を塞ぐ、かっと頭に血が上る。毛布に包まれたままベッドの上にのろのろと起き上がりサーニャは自己嫌悪に落ちた。
わたしは一体なにをしているんだろう…
30分前 午後7時30分
サーニャは自室に戻って一人では広すぎるベッドに倒れ込む。
先ほどの自分の行為と身体の感覚がふと甦る。
「っ…」
ベッドの上を転がって俯せになる。目の前にきたシーツを握りしめる。
「…エイラ」
コンコン「サーニャ?」
自分の呟きによって召喚されたようなタイミングにがばっと起き上がる。
エイラ!
転がるようにベッドから下りて扉に走った、速くと思う一心で耳と尻尾が飛び出る。エイラが扉を開けたのとわたしがエイラの胸に飛び付いたのは殆ど同時で。
「え!?わあぁっ」
エイラはわたしを抱き止めると勢いで後ろに尻餅を付いた。
「痛たタ。サ、サーニャ!どうしたんダ?」
「゛〜〜〜っ」
わたしは自分のモヤモヤした気持ちをエイラなら何とかしてくれるような気がした。
エイラの服を両手で掴んで鎖骨の辺りに額をグリグリ擦り付ける。
エイラは何がなんだか分からないといった風で、しかしサーニャを抱き締めることも引き剥がすこともできずにただ両腕を不自然な形で浮かせたまま固まっていた。
サーニャはエイラの首に鼻先を埋めるようにして動かない。エイラの視界にはサーニャのふわふわのグレーの髪とそこから覗く黒い三角の耳。それからサーニャの後ろにヤケに艶のいい尻尾が忙しなく揺れているのが見えていた。
猫って確か、不機嫌なときに尻尾を振るんだよナ。
「ササーニャ?怖い夢でも見たのカ?」
サーニャの両肩を優しく掴んで、声を掛けながら顔を覗こうとするとサーニャは嫌々をするように頭を振ってエイラの鎖骨から首筋まで擦り上がる。
「わ、サーニャッちょ!」エイラはサーニャに押されて腰から下がサーニャの部屋に、腰から上が廊下にある状態で押し倒されてしまった。
サーニャはのそりと起き上がり、エイラの上でマウントポジション。
20分前 午後7時40分
「あの、サーニャさん?」エイラはいつもと様子の違うサーニャをなるべく刺激しないように話掛ける。
俯いているサーニャの顔は影っていて、その表情を見ることが出来ない。
慌てるエイラとは対照的にサーニャは自分の気持ちがが急速に落ち着いていく気がしていた。
「どこか痛いのカ?」
何も言わないわたしに痺れを切らす訳でもなく、いろいろと先回りして答えを考えてくれるエイラ。
いつも優しいエイラ。
わたしがさっきエイラのベッドで何をしていたのかなんて知らないエイラ。
「ゆ、床が冷たいからおきたいナ〜…?」
わたしの下で何か言ってるエイラの胸に再び擦り寄る、。
温かい…いい匂い…。
顔をぐりっと柔らかい膨らみに押し付けると、ビクッとエイラが緊張したのが解る。
緊張?痛かった?
顔を上げてエイラを見る。エイラは顔を真っ赤にさせて困ったような泣きそうな顔でわたしをみていた。
「サーニャ」
弱りきった声がわたしを呼ぶ。
わたしはエイラの顔の両側に肘をついてエイラの頭を抱えた。
「サ、サーニャ…!」
エイラの額にかかる前髪を指先で払って唇を押し当てる。それからエイラの頬とわたしの頬とを合わせて髪から覗くエイラの耳を見つけると、額にしたように耳朶に唇を押し当てた。
「サ…ニャ、や…めっ」
エイラが横を向いた。わたしの目にエイラの白い首筋と、薄い皮膚の下で動脈が脈打つ光景が飛び込んだ。誘われるように動脈のうえにも口付ける。
「ひっ」
エイラが短く悲鳴をあげたが行為に夢中のサーニャには響かない。
エイラの匂い。安心する。サーニャは舌先を少しだして、エイラの首筋をチロチロと舐め始めた。
「ぅ…あ」
エイラが呻いて身じろぐのを身体を押し付けて押さえ込む。
「だめ…や、てクレ…っ」耳の裏から首筋を降りて、服の襟を渡り喉もとから顎を舐めあげる。
エイラの顎を甘噛みして、そのさきの瑞々しい薄いピンク色をしたエイラの唇を求める。
「サーニャ!!」
あと少しで唇に触れられそうなところで、突然肩を捕まれ押し返された。
「エイラ」
「駄目だ、サーニャ。そんなことしちゃ」
エイラは相変わらず真っ赤な顔で、しかししっかりとした口調で言った。
サーニャは起き上がったエイラの太股辺りに跨がったまま、肩を掴まれきょとんとしている。
「どうして?」
「え」
「どうして駄目なの?」
「ど、どうしてって言われても」
サーニャはただ疑問に思ったことを親に尋ねる子供のような表情でエイラの答えを待った。
エイラは困惑した。
10分前 午後7時50分