そんなもんでお前を一生
縛りたくはなかった。
だけど、それ以外はお前に全部
くれてやってもいいと思ったんだ。
全ての戦いが終わり、何もなくなった毎日を過ごす日々。
平和を感じながらうたた寝をするような自堕落を絵にしたような生活の中で、俺の傍にはある女がついてまわるようになった。
「あ!実弥さん、また布団も畳まずにゴロゴロしてる」
暖かな空気に微睡んでいると、上から聞き慣れた女の声が降ってきた。
目を開ける。長い髪を後ろで束ね、俺の顔を覗き込んでいる女。
目を逸らしながら「今起きたところだァ」と言うと、嘘ばっかりと鼻息荒く返ってきた。
「ほら起きて、布団干しますから」
やいやいと巣から追い出され、俺が今まで横になっていた布団達は女に雑に畳まれ纏めて持ち上げられる。
仕方なく起きることにする。開け放たれた窓からは春の陽気のいい匂いがして、もうそんな季節かとぼんやり思った。
縁側に腰かける。思ったよりも日が高く、自分が思っていたよりもぐうたらしていたらしい。鬼殺時代の俺が見たら卒倒するだろうな。なんてどうでもいいことを考えている俺を雑に押しのけ、女は布団と一緒に庭へ飛び出し、手際よく物干し竿に布団を掛けていく。
「禰󠄀豆子」
女の背中に声をかけた。
忙しなくしていた女がこちらを振り返り、俺を見つめる。
腹減ったと言うとうんざりした顔になり自分で用意してくださいと一蹴された。
竈門禰󠄀豆子。
この女の名前だ。
何がどうあってこんな状況になったのか、始まりを語ると朧気だけど
実弥さんが心配だから、とか
痣の影響がどうの、とか
沢山の理由と掃除用具やら何やら抱えてやって来たのが、もう数年前だ。
嫁入り前の女を野郎ひとりの家に上げるのは気が引けたし、老い先短い自分を労る必要も無いと突っぱねたのだが、兄貴譲りの頑固な性格の女は次の日も次の日も俺の家にやってきた。
何度も何度も断ったのに凝りもせず山奥から毎度毎度やって来るから、負けを認めたのは俺の方。
以降、住み込みで身の回りの世話をしてくれてるこの女のことを、いつしか好きになっていて。
どうやら向こうも俺のことを好いてる、と知ってからは展開が早く、今は夫婦ごっこみたいなことをやっている。
……ごっこ、と言うと聞こえが悪いが、実際籍も式も挙げていないので、やることをやっていても俺達は「夫婦」ではないのだ。
そんなことを言うと、どうして籍を入れないんですかとコイツの兄貴にさんざどやされそうなので、まだ報告はしていないが。
「実弥さん」
不意に声をかけられ、心臓が跳ねる。
布団を干し終わった禰󠄀豆子が、心配そうに俺を見つめていた。
「春が近いとはいえ、まだ風が冷たいのであまり外にいない方がいいですよ」
「いいじゃねぇか、いい天気なんだし」
「良くないですっ。お身体に障りますよ」
「俺を軟弱者扱いすんじゃねェ」
すると、禰󠄀豆子は俺の両頬を自分の手のひらで包んできた。
柔らかな体温が広がって、自分の身体が冷えていることに気付く。
「あっほら、冷たい!もう」
離れようとする二つの手を素早く握って、そのまま自分の方へ引っ張る。バランスを崩した禰󠄀豆子は真っ直ぐ俺に倒れ込んできたので、そのままぎゅっと抱き締めた。
「あー、あったけぇ……」
「……」
さっきまできびきびと動いていた身体が、俺の腕の中にすっぽり収まっているのが可愛くて、なんだか意地悪したくなって。
露わになっているうなじを指先でそっと辿った瞬間、強引に距離を空けられた。
心なしか顔が朱に染まっているような。
「さ、……実弥さんの、す、助平!」
「あ?何もしてねェだろうが」
「いーえ、今のは絶対そうですっ」
「何が絶対そうなのかよく分からねぇなァ」
唇をわなわなと震わせ、言葉に詰まる禰󠄀豆子。何か反論したそうだったが、もういいですと不貞腐れてしまった。そんな表情も愛しくて。
「怒んなって」
「怒ってません」
「じゃあそっぽ向いてねぇでこっち見ろよ」
宙ぶらりんになっている禰󠄀豆子の手を握る。一瞬ビックリしたような顔になったが、すぐに元に戻った。
「禰󠄀豆子」
「…っ、」
唇を真一文字に結んでいた禰󠄀豆子だが、少しの間の後に口を開いた。
「……実弥さんの、意地悪」
目を伏せて潤んだ瞳でそう訴えてきたから、俺の中の汚くて野蛮な部分がむくむくと顔を出してくる。好いた女の色っぽい表情を見て我慢出来る男がいるだろうか。
立ち上がり、小さくなっている禰󠄀豆子を抱き上げる。
「きゃっ!」
落ちないように俺にしがみつくその必死さも、顕現した情欲を掻き立てるのには十分だ。
「えっあっ、実弥さん?」
「悪ィ、我慢出来ねェ」
今にも取って食いたい衝動を抑えながら、部屋の奥へと移動した。
***
実弥さん──鬼殺隊の柱として前線で戦っていた人──と、こういうことをするのは初めてではないのだけど、何回やっても慣れない。
傷だらけの腕に組み敷かれ、沢山の鍛錬でぶ厚く、固くなった掌で頬を撫でられ、骨太の指先で輪郭をなぞられる。
禰󠄀豆子。私を呼ぶ声が、どこか切羽詰まったように聞こえて、胸が高鳴る。握られている手にぐっと力が入って、実弥さんが私にのしかかって来た。
「……」
そのままピクリとも動かなかったので、不安になって名前を呼ぶ。すると実弥さんはシャキッと起き上がり、そのまま「湯と着替え持ってくるわ」と言い、部屋を出ていってしまった。
視線を落とす。どろりとした白い液体が下腹をゆっくり伝った。途端、急に切なくなる。
この行為がなんなのか、知らない訳では無い。最中、愛されてるな、と感じるし、丁寧に取り扱ってくれていることも分かっている。けれど実弥さんはいつだって、子種を私の中に注いだことは無かった。
実弥さんは、私との子どもが欲しくないのだろうか。こんなに好きなのに。そこまで考えて、思考が落ち込んでいることに気付く。ダメダメと首を振って雑念を振り払った。
***
湯と着替えを持って部屋に戻ると、禰󠄀豆子は目を閉じて寝ていた。
起こさないように布団に潜り込む。最初に会った時より随分と大人びてきたな、と寝顔を見て思った。
湯に手拭いを浸して身体を拭こうとする。と、気配を感じたのか長いまつ毛がゆらりと揺れた。
「ん……実弥さん」
身体を起こそうとする禰󠄀豆子に、いいから寝てろと声をかける。
「無理させちまった」
「ううん……」
大丈夫。寝ぼけているのか、敬語を使わない禰󠄀豆子は久々だった。貪りたい衝動がわき出るのを、奥歯を噛んでぐっと堪えた。
華奢な身体に手拭いを当てる。こんなに細い身体なのに漬物石や布団を平気で持ち上げるから不思議だ。コイツがいて、色々助かったこともある。指が欠けているというのは、生きていく上で存外不便だった。
最後に吐き出した精を拭き取って、ため息をつく。この行為に何の意味があるのだろう。ただ快楽を求めるだけのものなのに。
もし俺の最期が見えない程遠くにあったら、沢山の子どもや孫に囲まれて余生を幸せに過ごす。そんな未来があったかもしれない。
でも、すぐ近くに終わりが見えている命だ。俺の方が先に逝くと分かっていて、どうして俺の命の欠片を遺すことが出来ようか。
俺の苗字も俺の血も、コイツの足枷にしかならないと。
「なァ」
すっかり寝てしまった禰󠄀豆子に話しかける。当たり前だが、返事は無い。
起こさないよう頬を指先でそっと撫で、そのまま言葉を続ける。
「お前の傍にいた……髪の毛が黄色いヤツ。我妻だっけか。……アイツの方が──」
言いかけて、やめた。俺以外の男にコイツが抱かれる想像なんてしたくない。なんて面倒臭い男だと心の中で自分を詰った。
「……こんな俺の、何処がいいってんだよ」
溜息にも似た呟きは、誰に聞かれることもなく溶けて消えた。
エンドリケリーのジレンマ
(ねえ、どうしてそんなことを言うの)(私、貴方の全てが欲しいのに)