友達、できるかなあ…
こんちには陛下です
昨日は定演でした
前も書きましたが
僕は
1ステと4ステのみの出演で
本番では
かなりゆっくりできました
2ステと3ステは
舞台袖で聞いていましたが…
後輩たちもずいぶん
歌が上手くなったもんだ
まだまだだけどなww
1ステは
一番星見つけた
↓
How long I love to listen
↓
MI・YO・TA
↓
KALINDA
という曲順でした
とにかく楽しく
歌うつもりでしたが
MI・YO・TAは危なかったです
この時期にあの歌詞は
泣くしかありません←
頑張って我慢しました
で
2ステ3ステは舞台袖
そして
あっという間に4ステ
4ステは
混声合唱とピアノのための「信じる」
でした
ふるさとの星
↓
くり返す
↓
泣けばいい
↓
信じる
という構成ですね
ふるさとの星は
「そのひとがうたうとき」の
私たちの星と
同じところに位置する歌
ということで
他の曲とは
違う思い入れがありました
信じるについては
去年に高嶋先生から
指導を受けた曲だったので
今回の定演では
一番思い入れのある曲でした
はい
信じるで泣きました
前の記事にかいてある
『信じることでよみがえる命』
の後の間奏で堪え切れなくなって
『私は信じる私を信じる』
からだだ泣きして
まともに歌えなかった
そして
左隣にいた部長を
つってしまった気がする
ごめんなさい←
アンコールもだだ泣きでした
最後のほうずっと泣いてたな
醜態さらしてごめんなさい
定演終わったら
反省会(打ち上げ)して
OBOG会に出て
現役の会にも出て
それから
ゆっくりゆっくり帰りました
これでもう
舞台に立てないと思うと
やっぱり寂しいです
マジで転部して良かったわ←
三年間ありがとうございました
いろいろあったけど
とにかく楽しかったです
いい経験がたくさんできました
音楽だけではありません
素晴らしい友人もできました
これからもよろしくお願いします
それでは
さようなら
また今度
『信じる』に関する個人的考察
歌詞について
普段
合唱をするときには
音楽記号
↓
歌詞の解釈
というアプローチが
多いかと思います
しかし
この曲に関しては
和音
↓
メッセージの解釈
や
歌詞
↓
音楽記号や和音の解釈
といったアプローチの仕方が
有効であるように感じます
例えるなら
歌いだしの
「笑うときには大口あけて」
の部分を
クレッシェンドとデクレッシェンドの記号で歌詞を表現している
と捉えるのではなく
このような歌詞だから音楽記号としてクレッシェンドとデクレッシェンドがついている
と捉えたほうが有効だ
ということです
以下は
僕の個人的な見解になります
さて本題に移ります
すべての歌詞を考察すると
大変なことになるので←
特に気になる箇所について
書こうと思います
全体的には
歌詞
↓
音楽記号や和音の解釈
で
かなり深められると
思いますので
音楽部員さんは
もしよかったら
やってみてください
で
僕が取り上げたい部分は
二ヶ所あります
一つ目は
「信じることでよみがえる命」
の部分です
歌詞だけを見れば
信じれば命がよみがえるんだ!!
というような
希望に満ちた雰囲気が
僕には見えます
そこまでじゃないかも
しれませんが
しかし
信じることの大切さを
強く訴える歌詞に
見えるかと思います
どちらかというと
プラスっぽい歌詞ですよね
強い信念の込められた
歌詞っぽいですよね
では
ここで楽譜に目を移します
すると
実際には
切なげな和音や
それに準じた曲作りが
なされています
歌詞と曲の間に
矛盾が生じているような
気さえします
なぜ切ない雰囲気に
したんでしょうか?
信じることの素晴らしさを
訴えたいなら
もっと別の表現があるはずです
ここに作曲者の意図を感じます
僕は
この部分は
信じることの素晴らしさを
訴える部分ではないと
思っています
むしろ逆ではないかと
思っています
信じただけで
命がよみがえったら
どれだけ救われるか
でも信じただけでは
何も変わらないじゃないか
信じたからってなんだよ
信じたからどうなるんだよ
信じてどうする
意味なんかない
信じる意味なんかない
どうしようもないんだ
それぐらいの
激しい怒りを感じます
しかしこれは
やり場のない怒りです
どうすることもできない
自分に対する怒りです
表に出してはいけない怒りです
だから
堪えきれない部分
つまり
切なさや
やりきれない感じが
雰囲気として出てくるんです
…と僕は考えながら歌ってます
怒り狂いそうになりながらも
それを抑えながら歌ってます
あぁっ引かないでっ←
でも
この曲を歌うからには
それぐらいの気持ちは
必要だったりします
ちなみにこの部分の後
ピアノの間奏が入りますが
ここは
悩み苦しんでいる部分だ
と捉えています
んで
63小節のアルペジオで
『何か』に気付きます
よってここから雰囲気が
変わります
この時に
信じることの
素晴らしさを知って
私は全てを信じ生きていく
というような強い意思を持ちます
心境の変化が現れるわけです
ここからは
この曲としては
比較的明るく
そして強い構成に
なっています
それでは二つ目に移ります
86小節からのlalalaの部分の
特に91小節の3拍目です
上記の通り
終盤は
信じることの素晴らしさを知り
強い意思を持っている
そんな雰囲気な気がします
86小節からのlalalaは
前奏から何回も出てきている
メロディです
ただ
同じメロディが
もとになっていても
この部分は
希望に満ちているような
印象を受けます
希望や強い意思を反映して
ffになっているんだと
考えています
しかし
91小節の3拍目の
ベースの音に注目してください
ナチュラルがついています
そのせいで
切ない和音になっています
そういえば
90小節辺りから
なんとなく
切ない雰囲気が
滲みだしはじめています
なぜこの和音にしたのか
希望に満ちているならば
明るい和音や重厚な和音を
パーンと鳴らせばいいのに
なぜそうしなかったのか
それは
90小節辺りから
不安がよぎるからです
86小節辺りからは
信じることの素晴らしさを
高らかに歌うのですが
90小節辺りからは
人の汚さが頭をよぎります
そして
91小節の3拍目で
信じることは
こんなにも素晴らしいのに
なのに
どうして人はこんなにも
汚い生きものなんだ
なんで
どうして
という感情が溢れだします
悔しさに似た感情ですかね
つまり
ベースは人の汚い部分です←
しかしその後
「私は信じる」
という歌詞が入ります
これは
人は確かに
汚い生きものかもしれない
でも
それでも
私は信じるんだ
信じるんだ
という
揺るがない信念の現れです
だからこそ最後は
綺麗なハーモニーではなく
ユニゾンで終わるんですね
以上です
予想以上に長くなりました
最後まで読んだ人がいたら
ほめてあげます←
まあこれは
僕の個人的な見解ですから
みんながみんな
自分の歌いたいように
歌えばいいと思います
定演みんなで頑張りましょう
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